旧ソ連諸国における核遺産問題

<ソ連崩壊後の核の問題>

東西冷戦終結後の1991年7月、米国とソビエト連邦は、第一次戦略兵器削減条約(START I)に調印しましたが、同年12月に一方の当事国であるソ連が崩壊しました。このため米ソ間で削減が合意されたソ連の戦略核兵器は連邦を構成していたロシア、ウクライナ、カザフスタン及びベラルーシの4ヵ国に残されたままとなり、ソ連崩壊後の不安定な地域・政治情勢等も重なり、廃棄作業は進展しませんでした。

また独立したばかりのこれらの諸国における核物質や放射性廃棄物の管理や防護は、当時の国際基準からかけ離れたものとなっていたため、核不拡散の観点から、この問題は日本を含む国際社会にとって深刻な懸念材料となりました。

 

<二国間委員会の設置>

このような状況を踏まえ、1992年に開催されたミュンヘン・サミットにおいて、日本を含む先進7ヶ国(G7)首脳会議は、旧ソ連の核兵器の安全な廃棄、核不拡散及び環境問題の解決に向けた協力を行うことを決定し、日本は、1993年から1994年にかけてロシア、ウクライナ、カザフスタン及びベラルーシとの間でそれぞれ二国間協定を締結し、協力実施のための委員会を設置しました(「協力のための法的枠組み(二国間協定の締結)」参照)。

なお、日本はこの協力を遂行するため、1993年4月、東京サミットに先行して開催されたロシア支援に関するG7合同閣僚会議において、宮沢首相(当時)より旧ソ連諸国の非核化協力のために総額1億ドルの資金協力を発表しました。また、1999年6月のケルン・サミットにおいて、小渕首相(当時)は旧ソ連諸国に対する核軍縮・核不拡散協力として93年の資金協力の未使用分とあわせ2億ドルの資金協力を表明しました。

 

<1990年代の日本の具体的な協力>

日本は、ロシアに対する最初のプロジェクトとして、ロシア極東の原子力潜水艦の解体過程において発生した液体放射性廃棄物の海洋投棄等を防止するため、バージ式低レベル液体放射性廃棄物処理施設「すずらん」を供与しました。

ウクライナ、カザフスタン及びベラルーシの3ヵ国は、自国領内に残っていた核兵器をロシアに移管し、非核兵器国として核兵器不拡散条約(NPT)に加盟するとともに、国際原子力機関(IAEA)の保障措置制度*1の下に入ることになりました。日本はIAEAや他の支援国とも連携しつつ、これら3ヵ国に対して核物質計量管理*2及び核物質防護*3システムの構築、並びに核廃棄要員のための医療機材供与等の協力を行いました。

 

*1 IAEAが、平和利用を目的とする核物質や原子力施設等が軍事目的に転用されていないことを査察等により検認する制度。

*2 原子力施設への核物質の受け入れと払い出し及び在庫量を正確に管理すること。具体的な協力としては、計算管理用ソフトウェア、非破壊測定装置の導入等があります。

*3 核物質の盗難、原子力施設に対する破壊行為、核物質移送中の妨害行為等を防ぐこと。具体的な協力としては、施設フェンス、監視カメラ、センサー、出入管理システムの整備等があります。